2024年のノーベル賞、気づいたら物理学賞も化学賞もAI研究者がさらっていった。物理学賞はニューラルネットの基礎、化学賞は生物学50年来の難問「タンパク質の立体構造予測」をAIで解いた話だ。いくらなんでも同じ年に物理と化学の両方をAIでいいのか、と思うが、ノーベル財団が決めたのだからしょうがない。
その化学賞3人のうちの1人が、Google DeepMindのCEO、Demis Hassabis(デミス・ハサビス)。OpenAIのChatGPTで世間が盛り上がっている横で、DeepMindは黙々と論文を書いてデータを世界にばら撒いている会社だ。囲碁の世界チャンピオンを完封したAlphaGoも、タンパク質の構造を解きまくってノーベル賞までいったAlphaFoldも、ぜんぶここから出てきた。派手に暴れるタイプでもないので日本のニュースではほとんど素通りされる。けれど、露出の地味さのわりに残している成果のスケールが釣り合っていない、という意味で業界随一の人物だと思う。
AlphaGoとAlphaFoldという二段ロケット
DeepMindの代表作は二つのAIだ。囲碁を指すAlphaGo、そしてタンパク質の立体構造を予測するAlphaFold。この二つが、ノーベル賞までの道を引いた。
2016年3月、AlphaGo(DeepMindがゼロから作った囲碁AI)が、囲碁世界トップのイ・セドル九段に4勝1敗で勝った。世界中がライブ配信に釘付けになった。囲碁は組み合わせが多すぎて、機械には当分無理だと言われていた領域で、それをまとめてひっくり返した。
その4年後、2020年のCASP14(Critical Assessment of protein Structure Prediction)でAlphaFold2が圧勝する。CASPは1994年から続くタンパク質構造予測のガチのオリンピックで、2年に1度開かれる。運営がまだ公表していない実験構造を100個弱用意し、参加チームにはアミノ酸の配列だけを渡す。答えはブラインド。締切後に実験構造が公開され、予測との一致度がスコアリングされる。完全な実力試験で、カンニングは原理的に不可能。
ここでAlphaFold2は97ターゲットのうち88個を「実験並みの精度」で当てた。予測誤差は平均0.96 Å。Å(オングストローム)は原子を測る単位で、水素原子の直径が約1Å、炭素原子で約1.4Åほど。つまり予測と実際の構造を重ねたとき、原子の位置が平均して原子1個ぶんも離れていない、というレベルだ。
もっと驚くのは、ここで比較している”実験構造”のほうにも揺らぎがあることだ。同じタンパク質を別の研究室で解くと、実験結果同士で1〜2Å程度は普通にずれる。AlphaFoldの予測誤差は、実験を2回やったときのばらつきよりも小さい。実験そのものの限界を、計算のほうが超えてしまった、ということになる。
結果が発表された会場では、世界中から集まった構造生物学者たちが「50年来の問題が解けた」「自分の専門分野がAIに終わらされた」と呆然としていた、と報じられている。CASP創設者のJohn Moultが会見で発した「In some sense, the problem is solved.(ある意味で、問題は解決された)」という一言が、そのまま時代の分岐点になった。
翌2021年7月、AlphaFold2の論文はNatureに掲載される。被引用数は約43,000回。生命科学論文としては異例のスピードと規模で引用が積み上がった1本だ。
タンパク質の立体構造、つまり「身体を動かす部品の設計図」は、生物学の長年の難問だった。X線結晶構造解析で1つ解くのに数年かかる時代があって、AlphaFold登場以前に人類が50年以上かけて実験で確定させた構造は約18万件どまり。そこにAlphaFoldは2億超の予測構造を載せた。しかも無料で。全既知タンパク質の構造をデータベースに放り込んで世界に公開した。利用研究者は300万人超、190か国以上。
なぜタンパク質の形を知りたいのか、というと理由はシンプルだ。薬の開発は、病気の原因になるタンパク質のくぼみにピタリとハマる分子を探す作業が中心。形がわからないと、そこから先は全部手探りになる。アルツハイマーやALS、狂牛病のように、折り畳みが狂って起こる病気も山ほどある。ここが読めるようになると、新薬の開発、病気の仕組みの解明、ワクチン設計、食料不足や環境問題のための新しい酵素設計まで、まとめて前に進む。AlphaFoldが2億件の構造を公開したというのは、要するに「人類の医療と生物学の出発点を、世界中の研究者にタダで配った」という話になる。だからノーベル賞になった。
ついでに言えば、人体の免疫はもともと「ウイルスの形にピタッとハマる抗体を作る」という形のパターンマッチングで成り立っている。ワクチンも同じ原理の応用で、ざっくり言えば「敵の顔写真を社内掲示板に貼っておく → 警備員(免疫)が顔を覚える → 数日後に写真が剥がされても、警備員の頭には顔が残る」という仕掛けだ。だから本物のウイルスが入ってきたときには、もう顔認証が完成している。
進化が何億年もかけて抗体でやってきたこの仕事を、人類がAIとバイオで外部化しはじめた——というスケールの話でもある。
ちなみにCASPはAlphaFold2の圧勝後もまだ続いているが、出場者は大半がAlphaFoldの上に自分の工夫を乗せて参加する形になっていて、競技の焦点も個別のタンパク質予測から複合体(複数のタンパク質が組み合わさった状態)の予測という次の山に移っている。50年続いた問題のほうは、ここで事実上店じまいした。
Googleの一部署が、製薬業界が喉から手が出るほど欲しい資産を、タダで世界にばら撒いた。普通は独占して金に換える資産だ。これを営利企業の中で通してしまったあたりに、この人の成分の特殊さがある。
人物そのものに興味が湧いた人は、Hassabisを5年間追いかけたドキュメンタリー『[The Thinking Game](https://www.youtube.com/watch?v=d95J8yzvjbQ)』(監督Greg Kohs、2024年)がYouTubeで無料公開されているので覗いてみてほしい。AlphaGoの舞台裏からノーベル賞前後まで、本人の淡々とした様子がそのまま映っている。
本題は次回
彼のもうひとつの会社、Isomorphic Labsが挑んでいるのは、AIで創薬プロセスを根本から置き換えるという、さらに射程の長い話だ。そこから先には、寿命がもっと伸びる未来や、「健康に害のない快楽」みたいな倫理的にかなりグレーなテーマまで見えてくる。次回はその辺を覗きに行きたい。
用語集
- Demis Hassabis(デミス・ハサビス) — Google DeepMindのCEO。1976年ロンドン生まれ。元チェスプロ・ゲーム開発者・神経科学者という多彩な経歴から、AlphaGo・AlphaFoldを主導し2024年ノーベル化学賞を受賞。同年ナイト爵叙勲で正式に「Sir Demis Hassabis」
- DeepMind — 2010年ロンドンで創業、2014年にGoogleが買収したAI研究所。現在はGoogle DeepMind。汎用人工知能(AGI)の実現を掲げる
- AlphaGo — DeepMindが開発した囲碁AI。2016年に世界トップ棋士イ・セドルに4-1で勝利
- AlphaFold — タンパク質の立体構造を予測するAI。AlphaFold2(2020年)が実用レベルに到達し、2022年に全既知の2億超のタンパク質構造を無償公開
- タンパク質構造予測 — アミノ酸の配列(タンパク質を構成する部品の並び順)から、タンパク質が実際に折りたたまれる3次元の形を計算で求める問題。生物学の長年の難問だった
- CASP — Critical Assessment of Structure Prediction。1994年から2年に1度開かれるタンパク質構造予測の世界コンペ。ブラインドテスト方式。AlphaFold2は第14回(2020年)で圧勝
- Å(オングストローム) — 原子レベルの距離を測る単位。1Å = 0.1ナノメートル = 100億分の1メートル。水素原子の直径が約1Å、炭素原子で約1.4Å
- スパイクタンパク質 — ウイルス表面のトゲ状タンパク質。人の細胞受容体に結合して侵入する”鍵”の役割。コロナウイルスのスパイクは王冠状にウイルスを囲む(コロナ=王冠の語源)
- Isomorphic Labs — 2021年DeepMindからスピンアウトして設立された創薬AI企業(Hassabisが共同創業)。AlphaFoldの技術を医薬品開発に応用する
- ノーベル化学賞2024 — Demis Hassabis、John Jumper(ともにGoogle DeepMind)、David Baker(ワシントン大学)が共同受賞。発表2024年10月9日、授賞式12月10日
- The Thinking Game — Hassabisを5年間追いかけたドキュメンタリー映画。監督Greg Kohs。2024年6月Tribecaプレミア、2025年11月にYouTube無料公開