前回の[AI創薬第二弾](https://grune.co.jp/blog/personalized-cancer-vaccine-ai-mrna/)では、AIで設計した分子とmRNAの汎用性が合流して、「世界にその1本だけのがんワクチン」が人間で効き始めた話を書いた。予告通り、今回は思考実験を一つやる。
仮に、副作用ゼロ・依存性ゼロ・健康への害もゼロで、ただ気分が良くなるだけの薬が、それぞれの人の体質に合わせてAIで設計されたら、みんなはそれを飲むだろうか。
技術の延長線上にある話として
第一弾で[AlphaFoldがタンパク質の形を当て](https://grune.co.jp/blog/ai-drug-design-alphafold-deepmind/)、第二弾でAIがその形に合う分子を設計し、mRNAが「配列を書けば薬になる」状態を作った。そこに個人のゲノムや代謝に合わせて薬を選ぶプレシジョン精神医学が乗りつつある。「この人にはこの薬がよく効く」をAIで予測するモデルは、論文レベルではすでにかなり高い精度が出始めている。
分子設計AIの側から見ると、「何を最大化してほしいか」というゴール設定(AI界隈の人たちは目的関数と呼ぶ)が「治療」でも「快楽」でもやり方は同じだ。入力にゲノムと代謝を入れ、出力として分子構造を吐く。何を最大化するかだけが違う。「ゴールに快楽を据えたら」という問いを技術的に立てること自体は、もうできる段階にある。
1974年、哲学者が用意した同じ問い
この問い、哲学の世界では50年前から置いてある。
1974年、ロバート・ノージックというアメリカの哲学者が『アナーキー・国家・ユートピア』で「経験機械」という思考実験を出した。一流の神経心理学者が作った機械に繋がれると、小説を書いている体験、最高の友人と過ごす体験、望む通りの人生が手に入る。中ではそれが機械だと忘れているので、快感は本物と区別がつかない。タンクに浮かんで脳に電極を挿したまま生涯そこで過ごすか、というのが問いだ。
ノージックの答えはNoだった。僕らは体験したいだけじゃなく実際に「する」ことを望み、快感の塊ではなく勇気や誠実さを持つ人間であることを望み、人工の現実ではなく現実との接触そのものに価値を置くから。この思考実験は「人間は快楽以上のものを求める」結論の足場として半世紀近く教科書に載ってきた。読んでいる側としては、少し綺麗すぎる気もする。
53%がピルなら飲む
その「綺麗すぎ」に突っ込んだ研究がある。近年の経験哲学の実験で、同じ問いの「見せ方」だけを変えた。「タンクに繋がれますか」だと71%が現実を選ぶ。ノージック通り。ところが同じ中身を「副作用のない、生涯幸せでいられるピルを飲みますか」と聞き直すと、Yesが53%に跳ね上がる。過半数である。
主観的な幸福も、現実と関わっていない事実も、中身は同じだ。にもかかわらずタンクと電極のイメージが嫌なだけで答えが変わる。半世紀続いた結論は、半分くらい舞台装置のデザインに依存していたことになる。SFっぽい装置だと人は身構え、錠剤なら手が伸びる。哲学者の想定した人間像は、ドラッグストアの棚の前では存外保たない。僕もたぶん保たない。
すでに作ろうとしている人がいる
このピルを実際に作ろうとしている科学者がいる。
デイビッド・ナット(David Nutt)は、ロンドンのインペリアル・カレッジで長年脳に効く薬を研究してきた神経精神薬理学者だ。アルコールは「脳の落ち着きスイッチ」にあたる受容体に作用するが、他の受容体にも手を出すから、酔いと一緒に頭痛や肝障害や攻撃性を連れてくる。ナットは、酔いだけを担当する受容体に限定して効く合成分子を作れば酩酊感だけ残して副作用はほぼ切り離せる、と言う。解毒剤で数分で素面に戻れる設計まで視野にある。
この合成分子を彼は「Alcarelle(アルカレル)」と呼び、自身が立ち上げた会社で開発中だ。アルコールより約100倍安全というのが本人の推定。「来年にはスーパーに並ぶ」という報道が何度か流れたが、まだ並んでいない。当面は「開発中のコンセプト」だが、狙った受容体にだけ効く分子を作るという方向性は、第二弾で見たAI分子設計と同じ系譜にある。ノージックの思考実験の第一歩が、もう実験室に置いてある。
映画鑑賞と快楽ドラッグの違いはあるのか
今週、インドネシアに入った。ガルーダ・インドネシアで日本からバリへ入るフライトだ。機内Wi-Fiは、まともに繋がらない。
以前は飛行機の中を、オフラインでできる仕事をまとめて片づける時間にあてていた。最近はAIに繋がらないと明らかに効率が落ちるので、それも成立しなくなってきた。仕方なく今回は、初めて映画を何本かダウンロードして持ち込んだ。
イヤホンをして、スマホの画面に意識を没入させる。架空の話だとわかっていながら、感情が動きながら2時間が飛ぶ。体はシートに固定されたまま、意識だけが物語の中に置かれている。
これは、自分から機械に接続しに行く行為と、どこが違うんだろう。脳に電極は挿していないし、違法な薬も飲んでいない。ただ、体から意識が半分ほど離れて架空の体験に没入している、という構造だけ見たら、ノージックの想定とかなり似ている。タンクでも電極でもない、「映画」という社会的に許されたラッピングに守られているだけだ。
機械に繋がれることは拒否する。薬にはためらう。でも映画は観るし、SNSのショート動画には親指を滑らせる。ノージックの想定した人間像と、実際の人との違いに大した差はないのではないか。
目的関数を誰が書くのか
ここまで来ると、本当の問いは「その薬を飲むかどうか」じゃない気がしてくる。AIにゴール設定を渡すのは誰か、のほうだ。
「治療」ならまだ医療が答える。「快楽」なら誰が答えるんだろう。国が書けば、国民を大人しくさせる薬として配給される未来が見える。企業が書けば、滞在時間や継続購買を最大化する分子が設計される。個人が書けば、自分で自分のレバーを握る。
仮定の話ですらない部分もある。2024年12月、日本は大麻の「使用」そのものを違法化する法改正を施行した。同時に医師処方の医療用大麻は解禁している。同じ分子が、誰がゴールを書いたかで合法と違法を行き来する。AIがどんなピルを設計できるかより、そのゴールを誰が決めるかという問いのほうに、まだ答えが出ていない。
これはディストピアなのか
冒頭に戻る。僕専用に設計された副作用ゼロの快楽ピルを、人々は飲むのか、僕は飲むのか。
もう少し引いて考えると、違う疑問が出てくる。AIが富を生み続ける側に回りきった世界では、人間が必死に働く必然性そのものが薄まる。環境負荷の観点で見ても、80億を超える人間が物理的に動き回って消費するより、ピルで穏やかにしていてくれたほうが地球には優しい、管理する国にとっても好都合という論理すら成り立ってしまう。そう置いてみると、人々がピルを選ぶ流れは、意外なほど自然に見えてくる。
これをディストピアと呼ぶのは、誰の視点なんだろう。汗をかいてスポーツをし、絵を描き、小説を読み、誰かと本気で議論する――そういう人間像を「理想」として掲げているのは、歴史上のある時期の、ある文化圏の価値観でしかない。未来の人類から見れば、ピルを飲んで穏やかに過ごす側こそ自然な到達点に見えても、不思議はない。
AI創薬3部作はここで一区切り。ノージックが50年前に投げた問いの温度が、やっと上がってきた、という感触だけ残しておく。楽しんで考えていいテーマだと思う。
用語集
- ノージックの経験機械 — 1974年に哲学者ロバート・ノージックが出した思考実験。脳に電極を挿された状態で、望み通りの体験を人生ずっと供給してもらえる機械に繋がれるか、という問い。ノージック本人の答えはNo
- 経験ピル — 近年の経験哲学の実験で使われた設定。経験機械と中身は同じだが「副作用のないピル」として提示した。タンクだとNoと言う人の多くが、ピルだとYesと答えた
- プレシジョン精神医学 — 個人のゲノム・神経生物学的特性・代謝特性に合わせて、精神科の薬を個別に選び投与量を最適化するアプローチ。既存の抗うつ薬・抗精神病薬でも有効な治療に到達する速度が従来比30〜50%速いという研究結果が出ている